結婚してから、いや、結婚する前からも浮気・不倫する人がいる。
一方で、一切不倫しない人もいます。
一体、その違いは何だろうね?という話をテレビ番組見ながら夫婦で話してました。
私の中の結論で言うと、「今の生活で満たされているかどうか」なんじゃないかなと思います。
不倫する人っていうのは、自分の中で「満たされている」と感じているかどうかだと思うのです。
「満たされている」状態で、さらに不倫するというのは、理性を失っている状態だと思うのです。
日本社会においては、法的リスク、経済的リスク、社会的地位のリスクで考えると、リスクとリターンが釣り合っていない。
それなのに、リスクを負ってまで不倫するというのは、ギャンブラーなのか、はたまた性欲が抑えられない動物なのか、得てして理性がある人間とは言えない状態かと思います。
しかしながら、「不倫は文化だ」という某俳優の名言がある通りでもあるのだが、
男性、雄は自分の遺伝子を残すために、多くの女性に対して性欲をぶつけるのも一理ある。
ある意味、本能的であり、雄としての生殖本能が強い証でもある。
雄の強さを誇示する意味もある。
しかし、現代社会での雄の優位性を示すのは、力の強さよりも経済的な強さがモノを言う。
まぁ経済的な強さも有していないと、女性から寄られる可能性も低くなるであろう。
強さとは、それだけで魅力的に映るものだ。
かといって、その上で一線を越えるというのであれば、一夫多妻制が実現できる国家へ移るか、パートナーに事前に許可を得ておくべきであろう。
昔の日本では、一夫多妻制は取っていたのであるから、無しとは言い難い。
(将軍家だけかもしれないが。そのあたりの調べは深くしていない)
閑話休題。
まとまらなくなってきたので、まとめに。
不倫する人とは、「満たされていない」のではないか?
という仮説を立てた時に、「自分がどういう状態になったら満たされるのか?」
どういう時に幸せを感じるのか、しっかり向き合った方がいい。
時間は有限だ。
妻と過ごす時間。
子どもと過ごす時間。
不倫する時間。
どれも同じ時間だ。
一年間は8,760時間。
寝てる時間を1日8時間として引いたら、5,840時間。
50年だと、292,000時間。
この時間を、何に充てるか。
誰と過ごす時間に充てるか。
自分が幸せと感じる時間に多く充てられたら、それは幸せな時間かもしれない。
それとも自己実現の時間に充てるのが幸せか。
それは人それぞれの価値観によるものだ。
100人いれば100通り。1000人いれば1000通り。
幸せの価値観はバラバラだ。
他人に流されず、自分が幸せを感じる優先順位と、選択と集中をするのがいい。
その結論が、不倫なのであればそれでいい。
不倫することで「満たされる」のであれば。
それが、その人の価値観なのだから仕方あるまい。
ただ、現在「満たされている」のに、不倫に走るのは人生を狂わせる可能性もあるのだから、
もし、それでも、踏み出そうとするのであれば、
自分を見失っていないか、よく考えてみることだ。
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